No. 884
   2014年3月25日

原発事故・大震災から3年経った被災地の今は

=  「原発事故・大震災で公務労働者の果たした役割を考えるシンポ」を開催 =

 未曾有の災害となった 東日本大震災から3年が経過し、現在でも多くの被災者が仮設住宅での生活を余儀なくされています。福島第一原発では収束の目途がたたないまま14万人もの 住民が県内外避難しています。こうしたなか3月21・22日の両日、福島市飯坂町で「原発事故と大震災発生で公務労働者の果たした役割を考えるシンポジ ム」を開催し、3年たったいまも住民に深刻な苦悩をもたらしている原発事故と公務の役割に焦点をあてて検証しました。
 1日目は特別報告や職場での実態を交流し、2日目は賃金 問題を中心とした学習会と被災地視察に分かれて行動しました。東北公務関連労組連絡会、福島県労連、福島県公務共闘、公務労組連絡会が共催し、福島を中心 に全国から85人が参加しました。

東北の切り捨ては許さない


 3月21日の福島は、震災当時を彷彿させるかのごとく重い雲が垂れこめており、時折小雪が舞うなか13時からシンポジウムを開始しました。国公東北ブ ロックの伊藤勲事務局長の司会進行のもと、主催者あいさつにたった東北公務関連労組連絡会の杉内清吉議長は、「大変な震災だったことを身をもって知ってい る我々には、必死に働いたという自負がある。このシンポジウムが公務も民間も労働者が手をつなぎ、お互いを知り合う機会となり、発信していくことが大事で ある」と呼びかけました。
 福島県労連の斎藤富春議長は、震災からすでに4年目に入ったが、復興は長いたたかいになることを強調、シンポジウムを糧にしてしっかりと進んでいくこと を呼びかけ、「JA福島中央会の会長や専務理事からも賛同が寄せられている『原発即時ゼロ』署名を100万筆目標で推進していく決意を述べ、憲法改悪を進 める安倍首相を批判し、歴史を記憶し若い世代にきちんと伝えるとこの大事さを訴えました。

日本史上 最大にして最悪の公害(人災)〜被害があまりにも深刻

 特別講演として、浜通り医療生協理事長で原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也氏が「原発震災から3年、福島からの訴え」と題して講 演を行いました。伊東氏は福島県いわき市民が国と東京電力を相手に原発事故の完全賠償を求め、「元の生活をかえせ・原発事故被害いわき訴訟」の原告団長と しても奮闘されています。
 伊藤氏は、「日本史上 最大にして最悪の公害(人災)であり、3年たった今も生活手段を奪われ人生を根本から狂わされた避難者は、現在でも13万5千人 おり、展望のもてない過酷な生活を強いられている。避難先で環境激変などによる死亡者(原発事故関連死)は1,679人にのぼる。福島県全産業に損害を与 え続け、とりわけ漁業と農林業は深刻、教育、医療、福祉分野などはかり知れない」と現状報告したうえで、数多くの課題を抱えて4年目を迎えるなか、放射線 による健康問題、いわれなき偏見や差別を助長させないための学校・社会教育の促進、国民経済からも割に合わない県内全10基の廃炉が大前提であることを強 調しました。
 提起として、原発をなくす合意形成のために、一つは原発の危険性を国民的な合意にすること。二つは福島の惨状を見る、語ることで国民合意を促進すること が大事であることを訴えました。
 最後に原発をなくす運動は、「核兵器をなくす運動」と「憲法を守りいかす運動」とトライアングルの関係にあることを指摘し、このことを頭に入れて一緒に なって考えいくことが大事であることを呼びかけました。

福島県内の公務・教育・医療の職場から実態を報告

 続いて各分野から4人が震災当時をふりかえり、職場状況と現在かかえる問題について報告しました。
 福島県国公の冨田克英議長は、「時限措置である復興庁は何をやっているのかわからない、果たしてこの省庁を知っている人がいるのか。国の果たすべき役割 や仕事はたくさんある」とのべ、国公職場の実態を報告しました。
 郡山市職労の笠原浩委員長は、「県では原発事故が中心だが、郡山市は地震の被害もあり、学校や支所などの倒壊や損害が多数あった。本庁舎の展望台の崩壊 で1か月近く泊まり込んだ。郡山市は転勤族が多く精神的過労で死亡者も出た。健康不安を訴える職員が多い。除染が最大のカギとなるが、市町村では入札作業 の遅れで適正な労賃が支払われない現状もおきている」と告発しました。
 福島県立高教組の谷野道子副委員長は、「郡山擁護学校に勤務している。車イスの入る美しい窓ガラス張りの学校だが、2回目の除染が入るのが遅い。教職員 もたりない。採用試験もなく大変な時期だが、子どもたちを守るのもこれからだ」と決意を込めて報告しました。
 福島県厚生連労組の大友浩介副執行委員長は、「老人介護福祉施設で働いている。水・食糧・衣類が不足するなか対応にあたってきたが、双葉厚生病院では野 戦病院さながらであった。病院の再開の見通しが立たない状態で離職や悩み苦しみ迷っている職員が多い。ベテラン職員がいて成り立つ職場である。処遇の改善 がないと働きづづけるのは困難だ。被災地に来て仕事をしてほしい」と現在までつづく惨状を訴えました。
 各種報告を受けて会場からディスカッションに移り、岩手自治労連の高橋副委員長、全法務東北地本の及川委員長、宮城県国公の井上事務局長、宮教組の瀬成 田書記長、全教本部の今谷書記長、自治労連本部の久保中執、福島県労連の野木事務局長が討論に参加しました。
 最後に、公務労組連絡会の宮垣忠副議長(国公労連委員長)が閉会あいさつし、「1日も早い復興のため何が必要なのか。政府は地方自治体が自由に使える人 と財源を投入し、国と地方自治体で共同して現場復旧をおこなうことが求められている。シンポジウムを糧に共同を強めていこう」と呼びかけました。次回はぜ ひ岩手県内での開催を誓いあいながらシンポジウムを終了しました。

 復興がはかどらな い被災地を視察

 翌日は、県外からの参加者を中心に福島県内の被災地視察がとりくまれ、福島県国公の冨田議長と高橋事務局長の案内のもと、21人が参加しました。一方、 福島県内の参加者は、人事院がねらう「給与制度の総合的見直し」の学習会を、公務労組連絡会の黒田健司事務局長を招いて開きました。
 現地視察では、昨日とうってかわり青空のもと、大型バスに乗り込み8時30分にホテルを出発し、川俣町から飯館村を通り南相馬市へ向かい、浪江町の一部 を車窓から見学しました。現地視察には相双地域労連の渡辺勝美(かつよし)さんが、南相馬の小高区の村上集落を案内していただきました。渡辺さんは飯館村 出身で居住制限区域のため仮設住宅で生活され、配偶者の両親を津波で亡くされました。
 南相馬は海岸から3〜4キロと海に近く、苗木の生産が盛んな土地です。この地域は瓦礫の処理が完全に進んでおらず、水路が機能不全で田んぼが水溜まりに なっており、荒れはてた大地と転々と残された家が見え、行き交うのは工事車両のみでした。部屋の後片付けに戻られた人も車窓から見うけられました。福島第 1原発まで14キロほどの海岸に立つと、2本の松が強風に吹きさらされていました。戦中の防空壕跡が剥き出しになっているのが遠くからもはっきりと見える 状態でした。
 帰宅困難地域となった浪江町は、まったく手つかずの状態で、通過するには事前に許可申請が必要だそうで、バスは古い家屋が多く倒壊被害のあった小高区を とおり、福島駅に到着しました。
 渡辺さんは、「みなさんには帰ってできるだけこの現状を伝え広げてほしい。東京以南は風化が危惧されるなか、関心を持ちつづけてほしい」と訴えました。
 新緑の季節がすぐそこまできているのに、新しい芽吹きを手放して喜べない福島の方々に想いを馳せながら被災地を後にしました。音のない町、除染で剥ぎ取 られた土地、黒ビニールで積み上げられた有害物、枯れ木色の山々に、生業が戻るのはいつなのか時間が重たく感じられました。そのようななかでも、お彼岸に 先祖参りにと色とりどりの生花が上げられていたのが物悲しさを誘いました。
以 上